酒カスの備忘録

Twitter(@kopepan_dan564)の備忘録です。

鉄道聯隊があった街

 かつて日本陸軍には鉄道聯隊が存在した。この聯隊は戦地での鉄道敷設や運行、敵の鉄路の破壊工作に従事するのものであり、義和団事件から日露戦争日中戦争、太平洋戦争で活躍した。拠点が置かれた千葉市津田沼習志野)周辺には現在も遺構が存在している。今回は鉄道第一聯隊が置かれた千葉市周辺で遺構を巡った記録である。

1.千葉公園で作業場の面影を探す

 今や市民の憩いの場とされている千葉公園もかつては鉄道第一聯隊の作業場、言わば演習場であった。公園の敷地内には当時、演習で使われたトンネルや橋脚が現存している。

演習用トンネル

 山も何もない場所にポツンとトンネルがある。かなりシュールな光景だが、立派な遺構である。千葉市中央・稲毛公園緑地事務所の脇にあるこのトンネルはコンクリート製。トンネル工事演習で使われていたようだ。事務所内の駐車場に存在しているが、正門が開いている時間帯はありがたいことに自由に見学ができるようになっている。

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事務所の脇にある演習用トンネル。

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昭和六年と彫られた石標。演習をおこなった年であると考えられる。

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聯隊の徽章が飾られていた。
演習用橋脚

 公園内を少し行くと部活動の高校生たちが運動している広場に出た。彼ら彼女たちが元気に走り回る広場の近くにコンクリート製の橋脚が突っ立っている。これも演習用に建てられたものであるらしい。そばを通りかかる人々はその「物体」を気に留める様子はなく不思議な空間が広がっていた。

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突如と現る橋脚部分。

この橋脚の後ろの斜面にはコンクリート製の物体が存在している。これもまた演習用橋脚か何かの遺構であろうか。案内板などは見当たらなかった。

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謎のコンクリート製の物体。これも何かの遺構?
ウインチ台跡

 初夏には市の花である大賀ハス*1が咲き誇る綿打池のほとりにいかにもなコンクリート製の物体がある。これはウインチ*2台の跡であるらしい。今ではベンチ代わりになっているらしく、腰かけ綿打池を眺めている人がいた。

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試しに腰かけてみたが座り心地は良くなかった。
荒木山

 荒木山とあるが小高い丘である。かつては鉄道聯隊の喇叭手の練習場所であったため「喇叭山」と呼ばれていた。その後、大陸で殉職した荒木克業大尉*3を悼み、昭和8年銅像が建立。喇叭山は公園として整備され「荒木山」と呼ばれるようになったという。英雄の銅像も戦争末期に供出され姿を消し、今では名前を残すのみである。

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英雄の銅像も供出され姿はない。

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公園周辺の陸軍境界石標

 かつて民間地と軍用地の境界には境界石標が立てられていた。これらの石標はかなり頑丈で引っこ抜くことが難しいらしく現在でも残っていることが多い。例に漏れず千葉公園周辺にも境界石標らしきものが多く存在しており、中には「陸軍」と彫られているのが確認できるものある。

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千葉公園周辺の境界石標たち。

2.轟町の材料廠と線路跡

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轟町、厳つい町名である。

 千葉公園がある中央区弁天と隣接する稲毛区轟町には現在、県立千葉東高校や千葉経済大学とその付属中学・高校があり文教地区としての性格が強い。しかし、かつては陸軍鉄道聯隊の材料廠と陸軍兵器補給廠が存在していた。町名の由来も""戦車や軍靴の音が轟いていたから""であり、何ともミリタリー色強めな土地であったことがわかる。当時の鉄道聯隊の演習線は生活道路に、材料廠の倉庫は千葉経済大学に現存しており、わずかながら「軍郷」であった面影を今に残している。

材料廠

  材料廠は現在、千葉経済大学の敷地内にある。訪問当日は大学正門に守衛がおらず、大学の庶務課に許可を得て担当者さんの案内のもと入校した。1908年(明治41年)に建設された煉瓦造りの材料廠は大正時代からは陸軍の兵器庫としても活用され、戦後は国鉄のレールセンターにもなった。明治期の煉瓦建築の技法が窺える貴重な建造物であるらしい。

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鉄道聯隊材料廠

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イギリス積と呼ばれる煉瓦造りの技法が用いられている。

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10連からなるアーチ。国内ではその他例がないようだ。(外から撮影)

 担当者さん曰く、東日本大震災以前は内部見学も可能であったらしいが耐震強度の問題で現在はおこなっていない。材料廠の周りでは野良猫が日向ぼっこをしており、彼らの住処になっているようだった。

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こちらを見る黒猫。可愛い。

www.pref.chiba.lg.jp

生活道路として残る演習線跡

 材料廠や兵器補給廠が存在した轟町には演習線やそれらの引き込み線の跡が生活道路になっている箇所がある。特にかつての材料廠への引き込み線は戦後に国鉄の千葉レールセンターへ向かう専用線として使われていたこともあり、その線形を色濃く残している。

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緩やかにカーブを描く道路。かつては材料廠に向かう演習線があった。

3.演習線の面影を探して

 かつて鉄道聯隊には習志野線・松戸線・下志津線・八街線の4つの演習線が存在した。演習目的の他には各地域の軍郷を結び、軍の物資輸送も担っていたらしい。千葉公園にほど近い作草部にはかつて習志野線と下志津線があった。下志津線の跡は道路として活用されている。

習志野線と下志津線の分岐点の謎

 作草部郵便局脇の狭隘路を進むと若葉公園という小さな公園が表れ、道が二手に分かれている。生協の宅配トラックがノロノロと狭い道を抜けていく。軽便とはいえ機関車が走っていたのだろうか?この分かれ道がかつての分岐点だと予想を立てていたが、今昔マップ*4国土地理院の地図・空中写真閲覧サービス*5で確認するとズレがあることに気が付いた。道路の分岐点が演習線の分岐点ではないようだ。演習線の分岐点はこの地点より作草部郵便局側に80m手前の地点である可能性が高い。再訪確定である。

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昭和5年の地図より。現在の道路の分岐点より手前で演習線が分かれている。

出典:「今昔マップ on the web」http://ktgis.net/kjmapw/より

 習志野線は鉄道第一聯隊が置かれた千葉から第二聯隊が置かれた津田沼までを結び、下志津線は同じく千葉から「陸軍野戦砲兵学校」や「陸軍野戦重砲兵第4聯隊」が置かれた四街道までを「下志津陸軍飛行学校(現在の陸上自衛隊下志津駐屯地)」があった下志津原(千葉市若葉区)を経由して結んでいた。

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左にのびる狭隘路がかつての下志津線の可能性が高い。
下志津線を途中まで辿る

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緩やかなカーブを描く道。かつては下志津線だった。

 モノレールが頭上を走る国道126号線の作草部1丁目交差点に出ると比較的交通量が多く、路線バスも通る道路が伸びている。この道は下志津駐屯地付近まで続いており、かつての演習線を道路に転用したことがわかる。勾配が少ないのも特徴的だ。また作草部には戦中まで陸軍歩兵学校や陸軍気球聯隊が置かれていた。最近まで気球聯隊の格納庫が現存していたが2020年末に解体され今は更地になっている。

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気球連隊の旧第二格納庫。去年の9月はまだ姿が確認できた。

 この道沿いでは気球聯隊の旧第二格納庫があった場所近くの交差点と千葉内陸バス京葉道路際バス停(千草台団地付近)近くの二箇所で境界石標を確認することができた。正直なところ四街道まで歩く体力は残されていなかったのでこれから鉄道聯隊の各演習線を巡る中で再訪したい。

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旧格納庫があった場所にほど近い交差点にある境界石標。

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京葉道路際バス停近くの境界石標。

4.終わりに

 今回は鉄道第一聯隊が置かれた千葉市周辺の遺構を巡ったが、戦後75年以上経った現在もわずかながら面影が残っていた。しかし、旧気球聯隊第二格納庫のような例もあるので油断はできない。例の分岐点も含め、鉄道第二聯隊の遺構や各演習線の跡も近いうちに巡りたいと思う。

 千葉経済大学さんには突然の訪問にも親切に対応していただき感謝しております。

 鉄道聯隊があった街(終)

*1:千葉市民なら誰でも知っているであろう大賀一郎博士が発掘した古代ハス。開花から4日で散ってしまう。ちはなちゃんゼリーでも有名。

*2:巻き上げ機

*3:鉄道第一聯隊に所属した工兵中尉、殉職後大尉。戦中期の英雄。荒木克業 - Wikipedia

*4:今昔マップ:http://ktgis.net/kjmapw/

*5:地図・空中写真閲覧サービス:https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1